患者さんの体験記

G・Kさま 50代
診断・子宮体がん
   ステージ3C
発症年齢・40代

2013年9月、不正出血のため婦人科病院に行ったところ、特に問題ないということで更年期のためと言われました。しかし、その後も不正出血は続きました。
2014年7月からは強い腹痛(強烈な生理痛)が毎日続きました。頻度としては1日1回、2~3時間の痛みが続くという状態でした。
不安に思い、昨年とは別の婦人科病院に行ってみたところ、そこでも問題はないと告げられました。大腸検査も受けてみましたが、やはり問題ありませんでした。
しかし、その後も腹痛が続いたため、さらに別の婦人科病院へ行ってみました。
そこで受けたMRI検査で初めてがんの疑いがあると診断され、大学病院を紹介されました。
大学病院では3回目の検査でやっと子宮体がんと断定され、2014年10月に手術を受けました。
しかし、リンパ節に転移していたため、私のがんはステージ3Cの状態になっていました。
それで11月から6か月間、抗がん剤治療を受けました。苦労して耐えた治療でしたが、終了後すぐに右鼠径部のリンパ節に新たな転移が見つかってしまいました。
そのため2015年6月から2か月間、放射線治療(38回照射)を受けました。

 

その後、他の病院の腫瘍内科に転院し、2016年2月に画像上、がんは消えていました。
しかし、その翌年の2017年2月、右鼠径部の筋肉にまたしても転移が見つかり、抗がん剤治療を受けたものの全く効かずがんが大きくなってしまいました。
右鼠径部はがんで盛り上がり痛みが辛く、まともに歩けなくなり、要介護2に認定されてしまいました。

 

それでも、私は生きることを諦めたくありませんでした。
その間、別の病院でアメリカのがんクリニックの遺伝子検査が受けられることを主治医から聞き、検体をアメリカに送っていただきました。その結果、私に合う薬が1つだけ見つかり、それがキートルーダという薬でした。

 

またその間、別の大学病院でセカンドオピニオンを受けましたが、その時点では今の治療を継続した方が良いと言われました。
2017年6月、そのセカンドオピニオンを受けた病院へ転院し、そこでキートルーダの治療をお願いしましたが、承認されていないため受けられず、菊池がんクリニックを紹介されました。

 

2017年6月末から10か月間、菊池がんクリニックで治療を受けました。
先生にはキートルーダの投与をお願いしましたが、オプジーボを提案され、オプジーボを投与することになりました。
他に飲み薬を服用しましたが、ひどい口内炎のため、その薬は2週間で中止になりました。
オプジーボの治療は4回目でがんの大きさが半分になり、回を重ねるごとにどんどん小さくなっていきました。最終的に13回行いました。

 

そして2018年7月、ついにCTでがんが消滅し、10月にはPET-CTでがん消失が確認されました。
現在も半年に1回PET-CTを行っていますが、がんは見つかっていません。

 

初発の時、なかなか異常の原因がわからずやっと腹痛の原因がわかった時は、それががんだと聞いて深い悲しみで目の前が真っ暗になりました。
最初のクリニックでMRI検査をしていればすぐに子宮体がんだと判明し、2度の転移も経験しなくて済んだのではないかと思うと、本当に悔やまれました。

手術後、抗がん剤治療を行わなければならないと知った時は、まだ終わりではないのかとかなり落ち込みました。

 

抗がん剤治療が終了して、抗がん剤が効かずリンパ節に転移していると聞かされた時は、辛い副作用に必死に耐える日々を過ごしていたので、自分の努力が報われないことへのやるせない気持ちでいっぱいでした。

特に2回目の転移の時は、放射線ではがんは取りきれなかったのかと、ものすごくショックを受けました。

そんな思いを抱えていた私にとって、菊池がんクリニックの受診は賭けでした。
いくつかの抗がん剤を試した結果、どれも効かなかったからです。

 

クリニックは日当たりが良く明るくて気持ちが良く、先生も看護師さんも優しく、不安なことはいろいろ相談に乗ってくださいました。
家でも不安なことがあると、すぐ先生の携帯に電話をして聞けたので、とてもありがたかったです。
菊池先生にはとても感謝しています。
CT検査でもがんはどんどん小さくなってきて嬉しかったですし、右鼠径部の盛り上がりも引いて痛みもどんどん取れてきて、歩くのが苦でなくなったことがすごく嬉しかったです。
難点は、保険が利かないため治療費はかなり高額なことで、今後保険が利くようになることを願っています。

 

現在は会社に復帰し、心穏やかに暮らしています。
治療を終えて思うことは、現状に諦めず常に積極的に行動をすれば何かが生まれるということです。また、自分の体は自分で守るという強い意志を持つことが必要だと感じました。
そして、医師の診断に疑問があり納得がいかなければ、自分の納得できる方向に進むことも大切だと思います。それほど、医師との信頼関係はなくてはならないものだと感じます。
それらを踏まえ、自分にとってのベストな方法を考え納得のいくように行動した結果、今の自分があると思っています。

 

本当に、今は生きていることに感謝し、幸せを感じています。
標準治療で治らなくても、自分に合う薬や治療に巡り会えれば助かる確率は上がるので、諦めないでほしいです!

 

I・Mさま 50代
診断・子宮頸がん
   ステージ4
発症年齢・40代前半

夏以降に病気が分かったんですけれども、同じ年の春ごろから背骨に痛みがありました。
朝、すぐに起き上がれないくらいの痛みでした。
今まで大きな病気もせず、ふだん運動もしていたので、そんな大きな病気が隠れているとは思わなかったし、普通に生活できていたので、なんだろ~くらいの感じでした。
その後、夏に、子供がまだ小さかったので、一緒にプールに入らなければならなかったんですね。その時生理中だったのでタンポンを使ってプールに入ったんですが、そうしたら、その日の夜、大量に出血しまして、シーツが血だらけになるくらいだったんですね。
これはただ事ではない、病院に行かなくてはということで、近くの病院を受診したところ、医師も驚いて、すぐ大きな専門の病院を紹介してくれました。
そこで検査をたくさん受け、子宮頸がんのステージ4ということで、手術にするか、抗がん剤と放射線にするか、と言われたんですが、自分では分からなくてどちらにしたらいいか迷って、結局、手術ではなく抗がん剤と放射線にしたんですね。で、半年くらいで治療が終わりました。
それで終わるかと思ったら、1年半くらいしたら再発しまして、それで、こちらの菊池がんクリニックにお世話になることになりました。

 

再発は子宮頸部だけで、他の場所に転移とかは無かったです。
退院後、通院する中で再発していることが分かったんですが、もう治ったものだと思って通院していたので、再発と言われたときはたいへんなショックで、目の前が真っ暗になりました。でも、子供たちが小さかったので、あと10年は生きたいと思いました。あの頃は、子供の習い事の送り迎えの時など、習い事が終わるのを待つ車の中で、「どうして自分がこんな目に」と涙が出ました。普段は子供の世話に追われて過ごしていましたが、一人になるといろいろ考えてしまってボロボロと涙がこぼれました。でもだんだんと日々の生活、子供たちの世話に追われて気が紛れていきました。
でも後々冷静に考えたら、ステージ4でそんなに1回ですっかり心配が無くなるなんてことはないですよね。

 

菊池がんクリニックには、私の姉が産婦人科の看護師をしていて、その勤め先の病院に菊池先生がいらしていて、私も入院はしたくない、通院で治療できるところがいいと思っていたので、じゃあ菊池先生が所沢で病院をしているからと、姉が紹介してくれました。

 

その後は通院しながら、治療イスのところで点滴の治療を1時間以上ですかね。2007年の6月から10月までの約5か月間、アバスチンというお薬を点滴で1か月に1回程度受けました。
その後はおかげ様で元気なんですよ(笑)。まわりの人もそんな大きな病気をしたなんて思っていないと思います。家族も、気を遣わず普通ですしね、ぜんぜん手伝ってもくれないし(笑)。自分の性格としても、あまり人に頼れない、自分でなんでもやっちゃう方なので、まわりももう大丈夫だろうっていう感じだったんでしょうけど、少しくらいの辛さは全然気にならないので。
薬の副作用も、体がだるい動きたくないっていう感じでしたけど、子供が小さかったので、必要に迫られてやらなきゃという感じで、あまり意識して感じたことは無かったです。

 

今は1年に1回検診で来院しています。おかげ様で元気です。
こちらのクリニックに出会ってなかったら、どうなっていたかな~ということは思いますね。ここまで元気になれたかって考えたこともありますし。
病院によってぜんぜん対応が違いますし…こちらのクリニックは親切で、出会えてよかったなと思います。

 

T・Iさま 50代
診断・子宮頸がん
   ステージ4
発症年齢・40代

初発当時(2013年10月)は、仕事をしていて、事務的業務に加えて顧客の電話対応などの業務を任されるようになって3年程経った頃で、そのストレスもあって、体調不良を感じていました。
症状としては腹痛でしたので、婦人科に行き、がん検診も受けましたが、その時は異常が見つかりませんでした。
それから半年程しても体調不良が変わらないので、内科の病院で診てもらったところ、内臓ではなく婦人科の病気の疑いがあるとのことので、改めて婦人科の検査を受け、そこで子宮頸がんと分かり、紹介してもらった専門の病院で治療することになりました。
仕事の精神的なストレスに加えて病気が分かったので、余計に気持ちが沈みましたし、やる気も無くなって、暗い状態でしたね。

 

子宮頸がんの腫瘍は4センチ位ありました。半年前には異常なしと言われたものが、その後そんなに大きくなるのかと驚きました。加えて、位置が股関節に影響が出るために手術で取り除くことができないということでした。そのため、放射線と抗がん剤の化学療法を併用して治療することになりました。手術はしないので、通院で治療を受けました。
抗がん剤の点滴は、週1回のシスプラチンを使用したもので、計5週行いましたが、調剤や前後の処理で7時間以上と、とても時間がかかるものでした。朝一で採血し、診察して体調確認をしてから、11時前位に点滴が始まり、終わるのは18時頃です。ほぼ1日病院にいる状態でしたね。
副作用としては、抗がん剤の点滴の治療中に少し具合が悪くなりましたが、お薬の種類が脱毛するタイプではなかったので、見た目もそんなに変化がなく、仕事場では、がん治療と分からなかった方もいたようです。
放射線の治療は、基本は毎日、外から放射線を当てる数分で終わる治療でしたが、2回ほど膣内に機械を入れて直接放射線を当てる治療の日があり、それが体力を消耗する苦しい治療でしたね。
しかし、その治療のおかげで、2か月半くらいの休職で、仕事にも復帰できました。

 

何も知らないで治療を受けるのは怖いので、ネットで、がんについての臨床試験や、患者さんの体験談のブログなどを調べて知識を得て臨みました。また、治療に入る前に、セカンドオピニオンも取りました。セカンドオピニオンで、その治療でよろしいのではという確認が得られましたので、治療を受けました。
ウェブサイトでは、セカンドオピニオンにまつわることや、治療の方法、使われる抗がん剤の種類、費用、予後等についても調べて、心構えをするための参考にしました。
自分でいうのもなんですが、かなり落ち着いて対応できたと思います。
普通なら「自分は死んじゃうのか」と落ち込んで、精神的に不安定になると思います。
そこで私は「生き続けようと思ったなら、自分で動かないことには始まらない」と考え、まず自分でできることをやろうと情報収集をしました。
私が主に参考にしたサイトは 国立がん研究センターがん情報サービスです。

 

2015年の年末に咳がひどい風邪をひきました。その後の2016年2月の定期検診で、肺が悪くなっていて、転移していることが分かりました。
肺の全体に細かくがん細胞が散らばっているような状態でしたので、手術はできず、抗がん剤の点滴(化学療法)での治療になりました。治療は2月下旬から始まりました。
抗がん剤の副作用は、痺れや脱毛などと説明がありましたので、事前に髪を短くして、ウィッグの用意をしました。また、当時は髪を長くしていたので髪の毛の寄付(ヘアドネーション)をしました。

 

治療は、まず1週目に点滴して、2週間お休みして採血して様子を見ながら3週間目に点滴、というサイクルで、4月の下旬まで受けました。
この時の治療も入院せずに通院で、前回ほどではないですが、4時間以上の時間がかかりました。
点滴は4種類。初めにアレルギー反応対策を2種類。次にパクリタキセルを3時間、そのあとカルボプラチンを1時間で、最後に生理食塩水で流すという行程でした。
この時の治療は、とても辛かったのを覚えています。髪の毛も抜けましたし、吐き気で気分が悪く、ご飯も食べられない、食べる気にならない、食べられるものが無い状態で、足に痺れが出て、歩行が困難ではなかったものの、歩きにくさや寝ているときの痛みを感じていました。
このパクリタキセルは、アルコール溶剤のお薬だったので、点滴後の車の運転はできませんでした。私は送り迎えをしてもらえましたが、副作用で吐き気もあるのでぐったりしていました。仕事を続けていましたので、治療の日は休みにして、翌日は遅刻にさせてもらい、午後から出勤や、あまり辛いときは休ませてもらいましたね。

 

その治療を2か月(1クール)行いました。1クール後の結果は、変わっていなくて、効果が無かったとなりました。その薬が合わなかったのだろう、じゃあ今後どうするのかという話になりましたが、そこの病院では、標準治療としてそれくらいしかなくて、それを続けるか、続けないで経過観察だけにするのかという、2択しか無くなってしまいました。
しかし、あれだけ苦しかったのにも関わらず、効果のないものを続けるというのは、嫌だなと。かといって、何もしないのも違うだろう、と思いました。
その時の体調は、副作用で具合が悪くなることはありましたが、基本的にはそれほど悪くはなかったですね。例えば、歩けないことはなかったし、仕事もできるし。
そこで、もうちょっともがきたいなと思って、ネット等で情報収集をしました。セカンドオピニオンも取りに行きました。

 

セカンドオピニオンを聞きに出かける時に乗った電車から、たまたま菊池がんクリニックの駅の看板を見かけました。近くにこういうところもあるのだと思い、頭の片隅におこうと思っていましたら、セカンドオピニオンの場で、菊池先生のお名前が出てきました。そこで、行きがけに見た看板と繋がったと思い、何かご縁があるのでは、と思いました。

 

後日、もとの病院で、今後どうしますか?と聞かれました。他の病院での治療ができないか、セカンドオピニオンを受けた病院への転院が可能か伺ったところ、それはできないと言われました。その時は知らなかったのですが、1度治療を始めたら転院はできないということで、他の病院に変わることはできない、他の病院がその患者を受け入れることもできない、ということでした。セカンドオピニオンを取った病院にも治験枠でできないか問い合わせをしてみましたが、駄目でした。
他の病院に変わることができないとしても、今の病院で効果があるか分からない治療を続けるのも嫌だし、このまま何もしないのも嫌だし、と判断ができずにいました。その時に以前に見かけた看板を思い出し、まずはこちらのクリニックのセカンドオピニオンを受けてみようと思い立ちました。そこで話を聞いたら、ここで治療できるよ、と言われたのでお願いすることにしました。

 

余談ですが、私が、菊池がんクリニックで治療することになった頃に、知人が同じ子宮頸がんになり、私より軽度だったので手術をして良くなったのですが、病院から予後のことを考えた別な治療を勧められたそうです。私が、一つの診断で決めないで、セカンドオピニオンを取ったほうがいい、とアドバイスをしました。知人はセカンドオピニオンを受けて、そこで違う治療を提示してもらえ、さらにそのセカンドオピニオンの病院で治療してもらえることになりました。私と同じような思いをして欲しくなかったので、治療が始まる前にアドバイスできてよかったと思いました。

 

菊池がんクリニックでの治療は化学療法で、最初はアブラキサンというお薬を使用しました。それはアルコールが添加されていない分子が細かいもので、がんの部分に入りやすく効果が出やすいそうです。ただこのお薬は保険適応ではないので高価ですね。前の病院では、分子が大きいお薬だったので、がんに届かず効果がなかったのだと思われます。でも保険適応の薬しか使えないからこれを使うしかない、という状況でした。

 

治療期間は、2016年の7月から3週で1週休むのを3回で1クール、それが9クール。2017年の6月からお薬を変えて2018年1月の終わりの時点まで行い、治療効果が出ていて結果がよくなっているので、治療は終わりにして、2月から経過観察になりました。
その3か月後の検査で大丈夫だったので、次は半年後に血液検査をして変わりない、となり、半年ごとに血液検査して、1年ごとにCT検査をして、という感じで今に至ります。
子宮頸がんの方は全く問題無くて、肺だけが悪くなっている状態でしたが、細かい腫瘍がたくさんあったのがかなり減って、増えていない状態です。

 

治療における副作用というものは特に無くて、経過観察になってからもほとんどありません。子宮頸がんの治療のせいで、更年期障害が早まった状態で、時々ホットフラッシュのようなほてりや鼻血もあったり、運動不足で、体力的にはきつくなったり、息苦しさを感じることもありますが、概ね問題なく過ごせています。
会社の理解があって、無理をしない働き方をさせてもらえたのも、ありがたかったです。

 

がんだと分かった時に、冷静になるのはなかなか難しいですけど、自分で病気のことや治療内容について調べて、理解して納得することが大切だと思います。
以前に比べて、考え方や精神的にもゆとりが持てるようになったと感じ、これ位大したことないと思えるようになり、かなり心境が変わりましたね。
また、治療しながら仕事を続けられたこともよかったです。病気をすると仕事を続けられなくなることもあると思いますが、生きがいにもなりますし、仕事を続けたいという意思を持ち続けることは大切だと思います。

 

T・Yさま 70代
診断・子宮体がん
    (がん肉腫)
発症年齢・60代

2011年に、最初、お腹が痛かったから腸の病気だと思って、T病院の外科を受診したんですけれども、「これは腸じゃないね、婦人科だね」と言われ、婦人科に回され、子宮体がんとの診断でした。
手術をすることになりましたが、その手術の説明の時、嫁がついてきてくれてちょっと私のかわりに話をいろいろしてくれたところ、手術の担当の先生が婦人科のトップのM先生に変わったんですね。チームで治療に当たってくださったので、M先生だけでなく何人かの先生で診てくれましたけれども、そのM先生が担当医になったことが幸いしました。後で分かったことですが、M先生の恩師が菊池先生だったんですね。
7月に子宮体がんの手術(子宮を全摘)を受けました。9日後に退院しまして、8月に抗がん剤治療のため入院して、3日後に退院。9月から、翌年の2012年1月まで毎月抗がん剤の治療のため通院しました。ここからほぼ毎年ですよ。たいへんでした。

 

2012年、高熱が出て5月から6月まで約1か月入院しました。この時は高熱の原因はよく分かりませんでした。
7月にCTを撮ったところ大腸に転移していることがわかり、入院、手術し13日後退院しました。
転移していたのは大腸の便がたまるところで、そこを切除してつなげてくださいました。その後8月から2013年2月まで抗がん剤治療のため毎月1週間入院し、これを7回繰り返しました。子宮は最初の手術の時に全摘していたのですが、たぶん子宮の近くだったから、骨盤のほうとか腸にも転移していたみたいなんですよ。
手術後は最初、便が出だすと何回もトイレに行きたくなって、下痢状態というか水溶性の便が続く感じだったんですけど、徐々に普通になって回数も減って、決まった時間に済ませられるようになりました。

 

その間、40度の発熱がしょっちゅうあったんですよ。白血球が下がり、それを上げる点滴を受けるため入院すること3回。3回目の入院の時に“原因が分かったよ”って言われて、菌だったんですけど、普通にどこにでもいる菌が手から入った、って言われたんですよ。普通の人は大丈夫だけど、私は免疫力が下がっているから菌が体の中で増えてしまって高熱が出たんですって。抗がん剤治療のせいで免疫力が下がっていたのか分からないですけど、必ず1か月入院になるんですよ、熱が下がらないから。私もたいへんだったけど、付き添ってくれた主人もたいへんだったと思います。

 

2013年3月に胸部(横隔膜のあたり)に転移していることがわかり入院し、手術して1週間で退院。抗がん剤は2回やって効かないから、もうやらないと主治医のM先生に言われたんですね。

 

2014年6月に大腸の、前とは違うところに転移していることがわかり、外科のベテランの先生から、手術では取れない場所だから、今度は人工肛門をつけなければならなくなるかもしれないと言われ、人工肛門(オストメイト)の専門の病院に行って説明を聞いてきて、覚悟を決めて7月手術に臨みました。結果は、手術がうまくいって腫瘍を取り切ることができたので、人工肛門にせずに済みました。11日間で退院しました。

 

2015年は何事もなかったので、あ~これで治ったのかな~と思ったら、2016年1月再発。2月に大腸カメラの検査をして外科の先生から説明を受け、大腸に6か所くらい腫瘍があって、これでは手術はできない、と言われました。
それからは、放射線センター、国立がんセンター、重粒子線治療をやっている病院とか、とにかくいろいろなところに行って、もうたいへんだったんですよ。

放射線センターでは「これ以上放射線かけたら腸がやぶけちゃいますよ」なんて言われたり、国立がんセンターでは「もうこうなったら、このままの生活をして、悪いところが出たらその都度治療する、処置をする、というふうにして余生を送ったほうがいいですよ」なんて言われちゃって、もう私はダメなんだと思って、がっかりして、貧血を起こして倒れちゃったんですよ。そう言われたらもうしょうがないと、諦めて帰ってきたんですよ。
それを主治医のM先生に言ったら「確かに言い方は悪かったかもしれないけど、それが現実なんだよ」って言われて。

 

もうとにかくいろいろ、4~5か所紹介されて行ったんですよ。でもどこでもダメって言われて。画像とか検査データを見ただけでダメと言われたりね。
で、最後の最後でM先生が「じつは私の恩師でこういう先生がいて、海外で効果の出ている治療法や、海外の薬を取り寄せたりして治療をしているんだけれども、ここは保険が利かないから治療費が高額になるんだけれども…」と言って菊池がんクリニックを紹介してくれたんですよ。
「そこへ行ってみる?」と言われて「行ってみます!」って。
今思えば、なんでもっと早く菊池がんクリニックを教えてくれなかったんだろう、と思いましたけど、保険が利かないということで治療費が高額になるので、先生も遠慮があったのかな~と。

 

2016年2月12日に初めて菊池がんクリニックを受診しまして、3月から治療が始まり、所沢まで通いました。まず肉腫に対する治療(点滴)をして、3か月したところでCTを撮ったら肉腫が小さくなっていると言われたんですね。で、次は、がんに対する治療をやりますと言われて、3か月。忘れもしません、9月1日にがんが消えていたんですね。この日は一生忘れられない日になりました。もう嬉しくて…。
M先生に報告したら、「たぶん、菊池先生が選んでくれたお薬が、あなたにピッタリ合ったんだよ」と言われました。
あれから6年経ちますけど、無事に過ごしています。
菊池先生、クリニックのスタッフの皆様には感謝でいっぱいです。ありがとうございました。

<ご主人の感想>

私は消防署に勤務していたんですけれど、その頃、叙勲の話がありまして、妻も同伴で行くのが決まりなので、ですから菊池先生に「先生、こういうわけだからどうしても治してくださいよ」って言ったんですよ。それが叶えられて、先生には本当に感謝しています。

どこにいってもダメだって言われてね。手術もできないし。それは死になさいっていうことと同じですもんね。M先生が「私の恩師ですから、うまくやってくれると思いますから、ぜひ行ってください」って紹介してくれて、こちらに来て、費用はいくらかかってもいいから治してくださいってお願いしてね。
でも治療のほうは6か月で済んじゃってね。

今は楽ですよ~、病院に行かなくてもよくなって(笑)。